さて、前回の記事で日本の『ノリ』がわからないと書きましたが、時が経つにつれ徐々に日本という国に(母国なのに!)馴染めるようになってきました。
一方でわずか2年の間に引っ越しと転校を繰り返し環境の変化に心と体がついていけず、小学校6年生にして不眠症を経験しました。
夜が来ても眠れない。
何時間もじっと暗闇の天井を見ているのは結構辛いものがありました。
自分自身は日常が辛いなんてまったく思っていなかったので、体の具合が悪くないのになぜ眠れないんだろう?と不思議だったのですが、今思えば立派な病気です。
心はそれほど体と密接につながっている。というか一体なのです。
そんなことも知らず、家族も自分自身も病気と認識していなかったので何か対策をするでもなく放置していたのですが、たまたま運の良いことに自然に治ったみたいです。
そしてなんとか小学校も無事に卒業しました。
中学・高校は地元ではなく私立に行ったので、クラスメイトも学校も再びまったく新しい環境に変わりました。小学生の頃は転校生、よそから来た子だったので、今度こそ皆んなよーいどんで新しいスタートなんだ、と思っていました。
しかしここでもまた事件は起きました。
いじめです。
日本の『ノリ』もだいぶ習得してきたと自信をつけて油断していたある日、私のひと言でいわゆるクラスのボス的な子を怒らせてしまったのです。自分としては全く相手に悪意がなかったのに、イタリアだったらちょっとしたおふざけで済むのに、相手を傷つけてしまったみたいです。
その場では何も言われなかったし相手も笑顔だったのでしばらくはわからず、気がついたらクラスの子達がみんなそっぽを向いている。そんな感じでした。
最初は何があったのかとじたばたしてました。もしイタリアだったらこういう時はすぐ相手に伝えます。「嫌な気分になったんだけど」「そうだったの?ごめんね」。で、あとはピザ食べて仲直り。
その後も状況はあまり変わらないまま中学校を卒業しました。クラスのボスは他校へ進学し、逆に他校から新しい人たちも入ってきて、高校に入るとクラスの雰囲気も少しずつ変わりました。
でもこの頃の私はどこか他人と関わることをあきらめていて、積極的に誰かとからむことも青春を謳歌することもありませんでした。早くこの学校を去って自由になりたいと思っていました。
私はマヤ暦でいうと「黄色い人」という紋章を持っています。黄色い人は型にはまらない自由人です。なので規律が厳しく、自由に表現することが許されず、見えないルールが張り巡らされている環境に本当に嫌気がさしていました。
「黄色い人」は自由である一方、道理や筋道も気にします。道理がとおっていない理不尽な校則や言動には先生にだって抗議してしまう厄介な生徒でした。
内容は忘れてしまいましたが、ある時歴史の先生に何か理不尽なことを言われた私は先生にこう言いました。
「先生、それは私がいつか先生の年齢になった時にも『あの時先生が言っていたことはもっともだった』と思えることですか?」
いやな生徒ですねぇ(笑)先生黙っちゃいました。
多感な時期だったことや、いじめにあったことが影響して、だんだんと学校や社会や自分自身にもイライラをつのらせて生きていた高校生の私が大きく変わったのは、音楽との出会いでした。
また続き書きます♪
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